「野鳥と私たちの暮らし」人と密着して栄える スズメ

開けた環境で栄える

 人とスズメは、いつからこれほど親密な関係になったのでしょうか。私は、稲作が始まった弥生時代からと考えています。日本は四季を通して雨が多いので、縄文時代以前の日本は広く森で覆われていました。その時代には、スズメは河原などの限られた開けた環境で細々と生活していたと考えられます。

 大陸から入ってきた稲作文化により、湿地は開墾され、平地の森も伐採されて水田となり、今日の里の開けた環境がつくりだされました。人々の生活は、それまでの狩猟採集の生活から里地に定住し、集落をつくって暮らす生活にと変わりました。里に開けた環境ができたことで、スズメの生活できる空間はいっきょに広がったと考えられます。水田の米が餌として提供されただけでなく、耕作で餌となる雑草の種子も豊富に得られるようになりました。

 餌だけではありません、弥生時代の集落につくられた茅葺の竪穴式住居は、スズメに営巣場所も提供することになりました。それ以来、人の家屋がスズメの営巣場所となり、今日に至るまで長い間、スズメは人と一緒に暮らしてきました。

人とスズメの戦いの歴史

 里に開けた環境がつくりだされて以来、人とスズメとは仲良く共存してきたのではありません。水田の米を食べるスズメは、稲作を開始した当初から害鳥でした。稲作の歴史は、スズメとの戦いの歴史とも言えるでしょう。案山子(かかし)は、古くからのスズメを追い払う対策の一つでした。その他にも様々な対策がとられてきたことは、今日各地に残る田畑を鳥の被害から守ることを祈念し、子どもたちが手に手に鳥追い棒や杓子(しゃくし)を持って打ち鳴らす「鳥追い」行事、その時に歌われる鳥追い歌、さらには鳥追い小屋に関する古い文献からもうかがい知ることができます。

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